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不条理なストーカー殺人 [事件・事故]
埼玉県内の女子大生が一方的な思い込みによる恋愛関係の帰結として殺害
されるという事件が起きてから、警察関係者の努力やメディアの指摘にも
関わらず同様の事件は後を絶ちません。
加害者側の言い分はいろいろな表現で正当性を主張していますが結果的に
殺害してしまったら、好きだと思い込んでいる女性自身が現世から消えて
しまうわけですから短絡的なバカモノとしか言いようがありません。
こういう事件の際、被害者の女性にも非があるというような意見を述べる
評論家とかコメンテーターとかもいますが、殺されるという極限の状態で
犯人と一緒にいる心理状態は想像力で補えるものではないと思いますから
実体験に基づかない戯言を一般論として話すのは、自分自身の人としての
評価を下げますから止めた方が良いと思います。
後、出会い系サイトで出会ったから軽いとか、いい加減な付き合いだとか
書いているマスコミが、その裏側では婚活や合コンが云々というテーマで
ドラマを作っている現実については、どのように考えているのかについて
きちんとした説明もありません。
男女の出会いの方法は多ければ多いほど、個人の性格に合わせた選択肢が
広がるわけですから個人毎の価値観で優劣をつけるものではないはずだと
思いますし、もっとも格式を必要とする出会いである「お見合い」でも、
離婚する場合があるわけですから、出会いの方法で単純に区別をするのは
あまりにも短絡的すぎて少なくとも冷静な大人の見方とは思えません。
自分の想いを押しつけるだけの求愛はストーカー規正法などによって禁止
されているはずなのですが、それはあくまでも相手を警察に通報した場合
で、さらに警察が深刻に受け止めて動いてくれた場合には、もしかしたら
安全かも知れない程度のことで、警察側が面倒だとか痴話喧嘩の延長だと
考えたら、その時点で安全の保障はなくなります。
ともかく、大好きだった女性やその家族を殺してしまったとした場合。
それでどうなるというのでしょう?自分の想いを受け止めてくれないから
なんて理由で人を殺していたら、最後に残るのは自分だけになってしまう
わけですが、それが幸せな姿だと思っていたのでしょうか?
相手の女性がどうしても自分の方を向いてくれないという場合には、普通
さらに自分自身の価値を高めて相手の女性に認められるように努力をする
とか、やっぱり諦めてしまうという選択肢もありますが、殺してしまうと
いう発想には至らないと思います。
それは何故かというと相手に対する想いの中に「愛する」という気持ちが
しっかりとあるからだと思うのですよね。
自分の大切な人を守りたいと、いう前提があるから、そこに愛情が芽生え
共に育むことができると思うわけです。
ストーカー事件の場合、愛ではなく一方的な思い込み、そして相手の人は
自分の所有物にならなければ許せないわけで、その結果として自らが相手
や二人の間を邪魔する存在の生命を終焉させれば、相手の人は永遠に自分
の中だけの存在になるという、あまりにも単純で身勝手で救いようのない
結論に導いたわけですから、なにを間違っても「彼女のことが好きだった
忘れられない」なんて言う立場ではありません。
勘違いならば修正が利きますが、思い込みというのは本人以外では絶対に
矯正が出来ない負の感情だと思います。
行き過ぎた妄想愛は他の人の人格や人権を自分の都合で消し去り自分本位
の結論に向けて動き出したら止らないという危険性と脆さがあります。
愛するという気持ちを内側に向け過ぎている人が、今の時代には多過ぎる
のかも知れないと私は思います。
![]() | 桶川ストーカー殺人事件―遺言 (新潮文庫) by G-Tools |





























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